今年は桜の開花が早く、まさか卒業式シーズンに満開の木があるとは思いませんでした。入学式シーズンには葉桜が見られたりして、それはそれで新しい門出に元気な葉桜もいいものかもしれません。
何にしても、元気はとても気持ちいいものです。
当院には失明した(しそうな)伴侶を連れてくるご家族が多く来院します。治せそうなもの、治療法が無いもの、などなどたくさんあります。
治療成績100%を目指しておりますが、100%の治療成績はこの世には無く、治療(内科も外科も含みます)したけど、うまくいかなかった例は存在します。そうなると失明というものが現実化してきます。
失明した場合、伴侶の状態(動作/心の状態、その後の目の状態、他の臓器への影響など)、ご家族の期待のロス(自分たちの伴侶に対する期待、伴侶の今後の期待、病院に対する期待、治療に対する期待など)、病院の期待のロス(治したい気持ち、次の患者へつなげる期待、看護側の疲弊など)といった大きな負の要因が取り巻いてきます。
全てがうまくいった場合は、とにかく明るく、本当によかったなぁという気持ちが充満し、治療にチャレンジしてよかったなぁや、次もまた頑張ろうとなります。
随分前に医学会で拝聴した著名な医師の話です。
病気というのはその人の肩に1トンの岩が乗っているもの。
医療は、その岩をメスや薬でもって砕きにいき、砕ければ、その方は治るのですが、中にはメスや薬では歯が立たない岩があります。
その時、我々はどう行動すべきでしょうか?治すだけが医療でしょうか?治らない場合、みんなでその岩を持ち上げて、その人を楽にしてあげるのを手伝うのも医療ではないでしょうか?
この発言は衝撃でした。治すのが医療で、それ以外は医療(病院の仕事)じゃ無いという線を引いていた自分が恥ずかしくなりました。
自分の力でいろんなことをやりたいから治療に挑戦するのは、応援すべきことで、その挑戦を全力で支えるのも医療。治療がうまくいかなかった時、残ってしまう病気(岩)をどうやってか動かす方法を考えるのも医療。
視覚という貴重な器官を失ってもその伴侶に、なおもなんとかしようとする熱い気持ちがある限り、様々な工夫を持ってそれを手伝っていきたい。それが大事だと。
そしてどんな状況においても自分の心に留めているのは、冒頭で書きました”元気”です。失明してもその子は元気で過ごす価値があります。
治療しない選択や治療したけれどうまくいかなかったなど、失明の先にあるご家族の肩落としには責任を感じますが、さらには私たちはその子の元気が気になります。
諦めず、何かできることは無いかを探し、絶対積極の心で対応していきたいと願っていますし、そうありたいと日々の診察の中にある小さなヒントに耳を傾けています。
くるめ犬猫クリニック 院長 奥井寛彰